フィリピンの闇 階級社会




 

一年以上前に書いた記事を発見しました

すご~く堅い内容ですが せっかくなので….

 

 

フィリピンという国を論ずる際、多くの人がその貧富の差に着目する。大部分を占める貧困層及び中間層を、少数の金持ちが支配しそして搾取する仕組みが出来上がっている。貧困層から這い上がり、経済的成功を掴むのは至難の業に思える。それほどまでに、この国のSocial Mobility(社会的流動性)は低い。インドに次ぐ、世界で二番目に多くのBPO (Business Process Outsourcing) を受け入れる国に成長しながらも、いまなお多くのフィリピン人が海外出稼ぎを目指す。彼等は、OFW (Overseas Filipino Workers)と呼ばれる。フィリピン人にとって、貧困から抜け出せる、最も確実で且つ実績のある職業はOFWなのである。そして、OFWはフィリピンのGDPの約10%を稼ぎ出す。人々は、国内で這い上がることよりも、外国に助けを求める。こうした傾向が、更にSocial Mobilityの向上を阻んでいる。国内において貧困から成功を掴むモデルは未だ見当たらない。

 

こうした社会システムを観察する過程で、フィリピン人のある一つの属性を発見することとなった。体に染みついてしまった習慣、と言い換えてもいいだろう。それは、「立場の上の人間に逆らえない」という気質である。私は、現地の英語学校に通い、毎日1時間授業を受けている。大半の英語学校は、キュービクルと呼ばれる小さな個室を設け、そこで「フィリピン留学の売り」と言われるマンツーマンレッスンが行われる。そして、キュービクルがあるエリアは徹底的にエアコンで冷やされる。エアコン=オモテナシ、のこの国では、「エコ」という言葉は、エアコンの音によって無残にもかき消されてしまう。そして、多くの教師と生徒が長袖の服を着て、寒さから身を守っている。元来暑がりの私はさして気にしていなかったのだが、雨季に突入し気温が低下するにつれ、この冷房が響き、ついには体調を崩してしまった。それ以降、何度かフィリピン人教師に冷房を調整できないか尋ねた。少なくとも3人には聞いただろう。しかし、誰も首を縦に振らない。「私も寒い」と同調しながらも、そこから話を発展させることを嫌がる素振りが見える。ある日、自分でマネジメント・オフィスに行き、温度を調整してもらった。キュービクルに戻ると20代前半の女性教師は、一言「ソーリー」と言った。そして、話を続けた。「正直に言って、私たちは上司に意見できない。できれば、したくない。意見することで、彼等に睨まれたくない」。

 

突然、工事が始まった。後から分かったことだが、ドアがきっちり閉まらないのを調整するため、ドアの木枠を削り始めたのだ。なんと、それは授業中に起こった。そして、そのドアはキュービクル・エリアに入るドアである。何か固いものを削る時に発生する、あの甲高い騒音が教室中に轟く。それでも、会話はできる。しかし、集中力を削ぎ、人を苛立たせるには十分だ。それでも、誰も動かない。マネジメント・オフィスが動かないのは単なる怠慢だ。そんなことは分かり切っている。しかし、騒音に直面している教師すら誰も反応しない。逆に、ドア近くの教室で行われていたグループクラスは、他の教室に避難を始めた。その時の私の教師は20代の男性教師。「うるさいよね」と彼に聞く。当然、彼も「うるさい」と答える。しかし、動こうとしない。その後、数分間、騒音の中、授業は進められた。私は席を立った。工事の現場に行き、フィリピン人の大工に工事を中断するようお願いした。彼は快く応じてくれた。そして、「何時に授業は終わるんだ?」と聞いてきた。話せば簡単なことだ。しかし、教師たちは、こんな状況においてすら、マネジメント・オフィスに対して意見を言えない。私が工事を止めさせると、数人のフィリピン人教師が、キュービクルから顔を出し、礼を言った。

 

これは、フィリピン人が怠慢だから、という理由ではない。

 

「上の者に逆らってはいけない。そうすると結局損をする」という”基本情報”が、彼等のDNAに埋め込まれているためだ。

 

これは、長い歴史を経てのみもたらされるものである。
私はフィリピンの歴史を深くは知らない。しかし、ここまで”教育”した支配層の徹底ぶりには、ある意味、敬服せざるを得ない。

 

フィリピン人は、自分より立場の上の人間に、モノを言えない。

 

この認識に到達して以降、多くのことに合点が行き始めた。フィリピンの役所の対応はひどい。1時間待ちなんて普通だ。しかし、誰も文句を言わずに待っている。以前私は役人に文句を言った。彼女の対応は、あまりにも理不尽だった。そして、周囲にいた数人のフィリピン人が顔を上げ私を見た。「よく言ってくれた」。言葉はなくとも、私の胸には彼等のメッセージが届いた。

 

フィリピン人は、誰にでもSirという。Sirという言葉ほど、それが交わされる両者の上下関係を決定づける言葉はない。

 

この国の人達はいつも笑っている。そして、どこでも歌い、踊る。とにかく明るい。しかし、その裏には大きな影がある。その影は、ある意味脚光を浴びている貧困問題よりも深刻かもしれない。何がこの影を追い払うことができるのか。しばし、このテーマについて考えることになりそうだ。

 

広告



Related Articles:

にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
にほんブログ村

日本とは言語も文化も全く異なる別世界のフィリピン。セブ在住5年の筆者が、セブ島での生活とビジネスをリアルに語ります。嘘&誇張一切なし。ガチで書いてます。


青木啓次 について

日本とは言語も文化も全く異なる別世界のフィリピン。セブ在住5年の筆者が、セブ島での生活とビジネスをリアルに語ります。嘘&誇張一切なし。ガチで書いてます。
カテゴリー: フィリピン生活 パーマリンク